YOSHIDA SHIGEO

Cybernetic Minds Exhibition

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Message

これまでの認知心理学・感情心理学の研究から、人間の感情と身体は不可分の関係にあることがわかってきた。例えば、涙を流している自分に気付くことで悲しみを覚えたり、他者の笑顔に釣られて幸せな気持ちになったりと、自身や他者の身体に無意識的に起きる反応が、感情や、感情の生起を端緒とする主観的な体験(感情体験)の誘発につながる。

一方で、バーチャルリアリティ(VR)は、コンピュータで作り出した擬似的な体験を、あたかも本物の体験であるかのように感じさせることを可能にしてきた。それでもなお、VRにおいて感情を直接的に作り出す手段はない。しかし、感情が生起したときの身体の状態を擬似的に再現することで、感情喚起にまつわる人間の無意識的な処理過程に作用して、任意の感情を誘発する技術を構築できるはずである。

本展示では、人間の主観的な状態の推定と喚起を制御論的に扱う領域を、"Cybernetic Minds"と定義した。近年では、心拍や表情などの身体に起きる反応をリアルタイムに計測し、ストレスや感情といった人間の内部情報を推定することが可能となってきている。あわせて、本展示で紹介する、身体と感情の関連性から発想した「感情喚起装置」が実用化されることにより、心と機械とが協調して目的とする感情体験を達成する、そんな未来が訪れるだろう。

このような人間の無意識な部分に影響を与える技術は、自然なままが一番であるという人間観に反し、良くないものと捉えられることもある。他方、昨今の社会情勢を鑑みると、感情に作用する技術が必要であるように感じる場面もある。アメリカの大統領選挙やBrexitのように、現実性の伴わない感情的な言説によってたやすく社会情勢は変化し、また、素直な感情を表出することを良しとせず、他者に対して常に笑顔で接することを強いられる感情労働も問題になっている。感情に作用する技術は、冷静な判断ができるように心の状態を落ち着けたり、心の内と違った感情を表出することを支援する術を、人々に与えることができるのではないだろうか。

最後に、本展示が、人間の身体と感情の相互作用や、社会と感情の相互作用について考えるきっかけになればと思う。

Emotion-Actuating Machines / 感情喚起装置

本展示では、以下の3点の「感情喚起装置」が展示された。

Incendiary reflection / 扇情的な鏡

覗き込む自分の顔が「笑顔」や「悲しい顔」に見える鏡型の装置。
自身の顔を笑顔に変化するとポジティブ感情を、悲しい顔ではネガティブ感情を喚起できることがわかった。
朝起きて顔を洗おうと洗面台の前に立ったとき、鏡の中の自分が笑いかけてくれると、なんだか一日頑張れるような気がする。

works > 扇情的な鏡 / Incendiary reflection

Teardrop glasses / 涙眼鏡

頬を伝う涙の感覚を再現する眼鏡型の装置。
眼鏡を装着して涙を流した人だけでなく、その周囲の眼鏡を装着していない人達までも悲しくなることがわかった。
映画館でこの眼鏡をかけていると、なんでもない映画でも悲しく感じてしまうのだろうか。

works > 涙眼鏡 / Teardrop glasses

FaceShare

自分が笑うと相手も笑い返してくれるビデオチャット。
普通のビデオチャットで会話するよりも、会話相手の印象や、会話の円滑さが向上することがわかった。
未来のおしゃべりは、無理に笑顔を作らなくても、コンピュータが勝手に笑顔を作ってくれるのかもしれない。

works > FaceShare

Credits

Direction: YOSHIDA Shigeo

Graphic Design: SHIGEYAMA Jotaro

Space Design: FUJINAWA Eisuke, NOMOTO Akira, and WATANABE Anna

Technical Support: SUZUKI Keita

Photo: NOMOTO Akira

Photo Model: NAKAYAMA Momoka

Cooperation: Cyber Interface Laboratory

Info

Exhibition Date: Feb. 28, 2017.

Venue: The University of Tokyo

Story behind

本展示は、博士論文の公聴会が終わった2週間後に開催した。

博士論文を書いていて、ふと思ったことがある。

体験可能な装置を作ってきたのに、公聴会ではその体験を言葉で説明するのみ。

自分の拙い言葉のみで、人の心の動きのような繊細な体験を伝えることができるのだろうか。

どうせなら、これまで作ってきた装置を体験してもらえる機会を作ろう。

ということで、この展示を企画するに至った。